「善と悪」「自分と他人」ー父の回答
前回の記事の返答を父からまた頂きました。
国語教師らしい有難い言葉でした(^ ^)
父:
古典を教えているので、生身の人になるべく影響されないような心境でいたいということを
兼好法師の『徒然草』の「よろづのことは頼むべからず」で教えられて、
ここ2年近くこの教材を扱っている。
「あらゆることは頼みにできない。
頼み、期待することによって、妬み恨む気持ちが生まれる。
本来、人間は天地の霊と同じで、心を広く保つことによって妨げられたり、
押しつぶされたりしないで本来のありのままでいられる。」
大雑把な要約はこういうことで、これは人間の本来、自分のなすべきことをなすべきようにを毎日、日課にした「明恵上人」の"あるべきようは"の教え(白洲正子著『明恵上人』)を読んだとき、
兼好法師と共通した実践だと感じた。
sacoの達観した境地にも少し近いかもしれない。
何にもとらわれない天地の霊と同じ存在が人間本来の姿ならそれに従って生きる。
これは難しいことではあるが、実感としてよくわかる。
ただ、現実生活は、いろいろな人の思惑に左右されるが、本来の姿を見失ってはいけない。
古典や歴史から人間本来のありようを知ることは、現在でも有用だ。
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お父さん、ありがとう。
うーん難しいけど、私は兼好法師とは仲良くやっていけそうだということは分かった。(*´꒳`*)
心を広く持つ。邪念は捨てて、なすべきことをこつこつとこなせるような人間になりたいと思います。
そして人からのいい影響はたくさん受けていきたい。
私の文でこんな素晴らしい教えをくれる父をこれからも敬って行きたいと思う。
うむ。
「善と悪」、「自分と他人」
善も悪も誰が決めるものでもない。
強いて言えば過去の歴史が決めてきたものでしょ。
って思うけど
最近、
結局生きている限り、「善と悪は最終的に自分で決めているんだ」とわかってきた。
人が原因で(人と自分)、精神的な病が、体調にまで影響して病院にもかかって悩んでいるって人がついこの間自分の周りにもいることを知った。
私は恵まれていて、そこまではなったことがないけど
「あーもうこれは病気になってもおかしくないぞ?笑
いっそ、そーゆーことにしちゃおっかなっ(๑˃̵ᴗ˂̵)」
と感じたことはあります(笑)←クズw
「そうなってしまう人」と「そうしてしまう人」。
どっちも同じ人間なんだよなあと思って
いろいろぐるぐる考えたことをちょっとだけ書いてみます。
ちなみに私は普段人から「悩みなさそう。何にも考えてなさそうで楽そう!」
って言われるのが悩みです。
あと、性格診断とかでも、ストレス耐性だけいつもぶっちぎりの満点です。
見た目ポジティブ、根もポジティブ
でもたまに考えると止まらなくなる。
そしてポジティブに落ち着くタイプ。
「何にも考えてないっしょ」と言われたい人はその秘訣を思考面から伝授します。(いないと思うが( ;∀;))
(行動面でいうと単にズボラなだけです。笑)
自分の個性は「善と悪」を判断しながら成長していってあるところで一定の思考パターンが決まる。
と思ってて、
それはちょっとやそっと「間違ってるよ」と言われても変われなくて
きっと誰かの影響ではこの先ずっと変えられない部分が大きい。
だから大人になると一層「合う人」と「合わない人」がはっきりわかるようになる。
(どうしても好きでもない限りその都度寄り添ってその人のために変わろうなんて思わないから)
つまり、
「自分でない誰か(他人)を100%理解するなんてできないし、しようとする必要もない。」
そうじゃなくて、
「私」は「あなた」の知らない部分が存在することを受け入れて尊重すべき。
そう考えると人に対してどんな人であっても尊敬と慈悲の入り混じった敬意を払うことができるんじゃないかな。
あとは、どうしようもなく腹立たしくさせられる人が現れてしまったときは逆に感謝する。
「あなたの才能のお陰で私は世の中の輝きを一層見つけやすくなる」、と笑
そして「無知の知」を知っている自分を誇る。
このぐらいひねくれていつも自分を守っています笑
我を見失うよりはこのくらい自分勝手なポジティブでもいいよね?笑
転職で必要なのは「5W1H」
「私、辞めたいから辞めますっ!!」
仕事は辞めよう思えばいつでも今すぐにでも辞めれる。
でも人生、辞めて終わりのことなんて何もなくて
それから?その先は?
と、生きていくためには常にやめることとはじめることを
同時に考えなくてはいけない。
私は転職しようと思い始めたとき、
「どうやったら辞めれるんだろう」
「やめるときどうすれば、どう言えばいいんだ」
って辞め方ばっかり心配していたんだけど
実際、「やめること」なんてどうにでもなる(笑)
だから転職活動をするときは「はじめること」に対しての「5W1H」を意識する必要があるんだ。
たぶん私はこの言葉を最初から意識してたんじゃなくて、
結果としてそういうふうにして動いていて
それが良かったと思うから
ここに残してみます。
0から1を作るためにはとても重要だと思う。
●何かを「はじめる」ときの「5W1H」
(0)when-(why)・・・いつ
(1)what-(why)・・・何を
(2)how-(why)・・・どのように
(3)where-(why)・・・どこで
(4)who-(why)・・・だれと
この、(0)でまず行動のベースを計画化して、4段階で「はじめる」内容、その都度(why)といったその理由を掘り下げてく。
Next→(0)when-(why) いつ?
まずはスケジューリング、計画すること。
「会社が私に所属する。」働き方の考えについてー父の回答ー
やっぱり誰かの考え方を知りたくて、父に相談してみました!
普段、父親と電話もLINEもほぼしたことのないのですが、
とてもいい意見を聞けたのでこれから継続的にこういう話聞いてみたいなと思った(^^)
大人になると家族と過ごせる時間は限られているので。
父:(公務員30年勤続)
ありがとう😊
ブログ読んだが、キャリアアップのためならば後者だが、後者にはリスクも伴う。
転職先の会社次第だから。
その会社がブラックで、身体を壊すようならば、転職失敗であって自分のキャリアアップにもならない。
また、自分が余程しっかりしていなければ、志が長続きしない。
挫折ばかりして目指すものが、コロコロ変わり定まらない人も多い。
この二点がそろわなければ、リスクだけになる。
前者の場合は、自分から自分の希望する部署に配属になるように働きかけることができれば、自分のキャリアアップにもなる。
それも無理なら目標もなく、組織の一員として働く、それが嫌なら辞職しなければならない。
いずれにしても、自分の可能性にかけることには賛成だが、現実は厳しいから、なりたいものがぐらつかずに
確固した自己を持ち、リスクを背負って生きる覚悟が必要だ。
あとは運が作用する。
自分の力はたかが知れている。
「私が会社に所属する。」じゃなくて「会社が私に所属する。」時代 ー転職ハイ芸人の悟り
タイトルを見て
何だその偉そうな言い方は!
と思った方。
暇つぶしにでものぞいてくれた方。
どうも転職ハイテンション、転職ハイ芸人のsacoです。
今、第二新卒 絶賛 転職活動中で、「働く とは?」について考えすぎて悟りそうです。( i _ i )
助けて、、
そんな中、
転職活動で転職サイトを使いまくってふと思ったこと。
「興味ない会社からのオファーが凄くない?多くない?」
そして今、自由な働き方が可能な時代に生きている。ということ。
フリーランスというかっこいい響き。
自分の肩書きはいくつも取捨選択することが出来る。
そこで例えば!バカな私は考えた。
「私が会社に所属する。」のではなく
「会社が私に所属する。」と考えるのはどうだろう?
前者の場合、
会社は私を雇い、成長を期待して、
でももし期待に全く応えない場合はいつかリストラされるかもしれない。
後者は…?
私は会社を選択し、
会社で得られるスキルを期待し、
期待に対してあまりにも相違が生じる環境で、
実現したい目的に対するメリットが得られない時
自ら退職するかもしれない。
それで??となりそうだけど、
後者の「会社が私に所属する。」場合、
私はいくつもの会社を私に所属させることが出来るかもしれない。(それぞれの条件によるが)
それが自分のバッチとなり、すなわち肩書き。
自分に所属している会社から得る肩書きの組み合わせによって唯一無二の最強な自分になれるんだ!
「会社は私に所属している。」
会社は私に投資しスキルを伝授し、その対価に私が生み出す利益を得て、
会社自身も大きく成長していくことが出来る。
つまり何が言いたいかというと、
この、逆に考えた時でも「winwinな関係」こそ
理想な働き方なのでは?
今の職場じゃ、
「毎日奴隷のように働いている。」
「給料しかメリットがなくて、やりがいがない。」
としか仕事に対して思えないのであれば
その仕事は自分に向いてないからやめてもいいんだよ?
自分の所属から1回外してしまえば?っということ。
今の職場での職務が、
自分の実現したい成長のための投資となっている。
と思えるのであれば、
「会社を私に所属させておいて、どんどん自分でも勉強したらいいじゃん!」
きっと人生ってもっと自由を創り出せる!
そんなふうに思った所存であります。
みんなは働くについてどう思う?
Saco