「善と悪」、「自分と他人」
善も悪も誰が決めるものでもない。
強いて言えば過去の歴史が決めてきたものでしょ。
って思うけど
最近、
結局生きている限り、「善と悪は最終的に自分で決めているんだ」とわかってきた。
人が原因で(人と自分)、精神的な病が、体調にまで影響して病院にもかかって悩んでいるって人がついこの間自分の周りにもいることを知った。
私は恵まれていて、そこまではなったことがないけど
「あーもうこれは病気になってもおかしくないぞ?笑
いっそ、そーゆーことにしちゃおっかなっ(๑˃̵ᴗ˂̵)」
と感じたことはあります(笑)←クズw
「そうなってしまう人」と「そうしてしまう人」。
どっちも同じ人間なんだよなあと思って
いろいろぐるぐる考えたことをちょっとだけ書いてみます。
ちなみに私は普段人から「悩みなさそう。何にも考えてなさそうで楽そう!」
って言われるのが悩みです。
あと、性格診断とかでも、ストレス耐性だけいつもぶっちぎりの満点です。
見た目ポジティブ、根もポジティブ
でもたまに考えると止まらなくなる。
そしてポジティブに落ち着くタイプ。
「何にも考えてないっしょ」と言われたい人はその秘訣を思考面から伝授します。(いないと思うが( ;∀;))
(行動面でいうと単にズボラなだけです。笑)
自分の個性は「善と悪」を判断しながら成長していってあるところで一定の思考パターンが決まる。
と思ってて、
それはちょっとやそっと「間違ってるよ」と言われても変われなくて
きっと誰かの影響ではこの先ずっと変えられない部分が大きい。
だから大人になると一層「合う人」と「合わない人」がはっきりわかるようになる。
(どうしても好きでもない限りその都度寄り添ってその人のために変わろうなんて思わないから)
つまり、
「自分でない誰か(他人)を100%理解するなんてできないし、しようとする必要もない。」
そうじゃなくて、
「私」は「あなた」の知らない部分が存在することを受け入れて尊重すべき。
そう考えると人に対してどんな人であっても尊敬と慈悲の入り混じった敬意を払うことができるんじゃないかな。
あとは、どうしようもなく腹立たしくさせられる人が現れてしまったときは逆に感謝する。
「あなたの才能のお陰で私は世の中の輝きを一層見つけやすくなる」、と笑
そして「無知の知」を知っている自分を誇る。
このぐらいひねくれていつも自分を守っています笑
我を見失うよりはこのくらい自分勝手なポジティブでもいいよね?笑